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各界からエール「ガォー!応援隊!!」

7月 第1回
ヒロ寺平さん (全4回)

芸能界をはじめ各界で活躍するタイガースファンに、愛するタイガースへの熱い想いを語っていただく各界からエール「ガオー!応援隊!!」。今月は大阪出身のラジオDJで、番組内でもタイガースのことを取り上げているHiro-T(ひろ・てぃー)ことヒロ寺平(てらだいら)さんにご登場いただきました。今回はその第1回目をお届けします。

Q:ヒロTさんのタイガースと出会い、ファンになったきっかけは何ですか?

ヒロ寺平: 僕がタイガースファンになって、ゆうても30年ちょいなんですよね。僕は千日前にあるなんばグランド花月の目の前で生まれ育ったんです。今のなんばパークス、つまり大阪球場があったすぐ近くやから球場には歩いていける距離やったんですよ。緑のユニフォームが大好きやし、だから僕はもともと南海ファンでした。当然大阪やから阪神ファンの友達もいっぱいおって、「何が阪神や!南海が強いに決まってるやないか」って、まあ子供がようやる、どっちが強いかについて言い合いをずっとやってたんです。ほんで、挙句の果てに僕がゆうたんが、いまだに覚えてんねんけど「お前、阪神なんかタテジマとかいうけど、あれピッチャー投げよる時にシマシマの模様で目くらまししとんねんやろ!」とか。子供ながらひどいことゆうてましたね(笑)。

Q:それがどうしてタイガースファンになったのですか?

ヒロ寺平: 子供の頃は南海ホークスファンやったんですけど、70年代くらいまでは僕は学生であれこれ忙しくて野球はお留守になっていて、80年代になってガンガンに働き出したころにやってきたのが1985年の阪神の大勝利ですよ。21年ぶりのリーグ優勝、そして日本一になって大阪が異様なほど盛り上がった。やっぱり僕自身もなんとなくずーっと過ごしてきた大阪で、改めて阪神タイガースの存在を強烈に意識したんです。あの、(ランディ・)バース、掛布(雅之)、岡田(彰布)の三連発もありーの、吉田義男さんの監督としての胴上げがありーの、挙句の果てがカーネル・サンダースさん(ケンタッキーフライドチキン道頓堀店(当時)の店頭に設置されていた創業者の像)が道頓堀にほり込まれたんがありーの…でしたからね。とまあ、いろいろあって結局この85年の優勝が僕がベッタリ虎党になった起爆剤でしたねえ。

子供同士が自分の応援するチームの自慢をしたり、相手の好きなチームをけなしたりと、ヒロさんのリアルな子供時代が伺えましたね。皆さんの中には、自分にもそんなことあったなぁ…って思い出された方も多いんじゃないでしょうか。

第2回の更新は7月11日(月)。お楽しみに!

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