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各界からエール「ガォー!応援隊!!」

1月 第2回
松村邦洋さん (全5回)

芸能界をはじめ各界で活躍するタイガースファンに、愛するタイガースへの熱い想いを語っていただく各界からエール「ガオー!応援隊!!」。
今月は、山口県ご出身でディープな阪神ファンとしても知られる、お笑いタレントの松村邦洋さんにご登場いただきます。今回はその第2回目をお届けします。

Q:初めて甲子園球場に行ったのはいつですか?

松村:巨人戦ですね。読売テレビの仕事で初めて甲子園に行けたんですよ。長く山口県に住んでいましたので、広島市民球場には行ったことがあったんです。甲子園までは遠くてなかなか行けなくて。今でこそ鳴尾浜とかも訪ねられるようになりましたけど、昔はお金もなかったですし甲子園への道のりは遠かったですね。

Q:プライベートで行ったことは?

松村:プライベートでほとんど行けないですね。だから、初めて生で甲子園のグラウンドを見た時は、やっと来ることができたと思って鳥肌が立ちました。飯を食うために必死でモノマネを勉強してましたから、やっと来られたと思ったら本当にうれしくてたまりませんでした。アルプス席から見る風景や肌に感じる風は何とも言えないですよね。あー・・・これがラジオやテレビで憧れていた聖地・甲子園の景色かぁとしみじみ思いました。高校野球もやるし、もう日本一の球場。日本中の球場のなかの聖地ですよ。僕は高校球児は甲子園を目指した瞬間からみんなタイガースファンになると思っていましたしね。中学生時代の同級生はみんなカープファンだったのに、野球を始めて甲子園を目指した瞬間にタイガースファンになっていました。だって聖地ですよね(笑)。

Q:松村さんにとってのミスタータイガースとは?

松村:そうですね、子供の頃を思うと田淵幸一さんですね。でも田淵さんがトレードされてからは、やっぱり掛布雅之さん。いろんなスター選手が活躍した時代があるから選び難いんですけど。非常に強かったし、ミスタータイガースといえば、掛布さんのイメージがありますね。少年時代は掛布さんとともに一喜一憂していた気がします。掛布さんがスランプに入ったとき中学1年生でしたけど自分もスランプになりました。もう憂鬱でたまりませんでした。僕が小学6年の時、掛布さんは48本もホームラン打ったのに、その翌年からスランプにはまって・・・。本当につらかったと思うんですよ。阪神ファンのチームに対する愛情は本当に深いんで、それゆえに風当たりも相当きつかったでしょうから。個人的には阪神の選手は他球団の選手より100倍幸せであり100倍苦しいと思います。

Q:阪神ファンって愛情があるからその分厳しいこともはっきり言いますよね。

松村:ファンの怖さは掛布さんが一番直面していたと思いますしね。田淵さんがトレードになったから、ホームランを打つバッターにならなきゃいけなくなり、大スランプの地獄も見て、規定打席も足りなかった年から、オフの時に新聞にトレードの見出しまで出たのに翌年復活したんですよね。ただ3割4分の打率で、ホームラン20本を記録したのにファンが納得しない。今の時代だとすごい成績なんだけどそれまでがすごすぎて、この物足りなさなんですか?ってファンの方がオフのトークショーで聞いたらしいです。そこで掛布さんは自分が求められているのは、ここじゃない、もう一度ホームランを量産しないといけないって思ったらしいです。そして江川(卓)さんが投げるボールの下3分の1を狙って打つことで、ホームランになる様に意識されたんですよね。また、江川さんの攻略方法として安藤監督が、高めのストレートには手を出すなって全員に言ってるけど、掛布さんだけにはお前はそれも狙ってもいいって言われたそうですよ。でも掛布さんやっぱり大スターだから、最後引退の時も苦しかったんじゃないかな。横綱は横綱のままでいなきゃいけないですからね。ただ、現役時代にスターの重圧を背負い続けてきたからこそ、逆に今の風になってるのかも。ポイントカードのポイントがたまったのかな(笑)

初めて甲子園を目にした感動・・・わかるような気がします!松村さんにとってのミスタータイガース・掛布さんは過酷なヒーロー時代を乗り越え、今のご活躍につながったのではというお話も、深いタイガース愛を感じますよね。

第3回の更新は1月16日(月)。お楽しみに!

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