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超変革Webマガジン 2016年8月原口選手

原口文仁選手インタビュー 第3回

Q:原口選手が野球を始めたきっかけは何ですか?

原口: 小学生の頃で、友達が1年生から野球をやっていて、それを見ていて、いいな、自分もやりたいなって思って4年生の時にチームに入団して野球を始めました。

Q:子供の頃は、お父さんにビシビシ鍛えられてたんですか?

原口: その逆で、どちらかというと僕が親父を付き合わせていたようなところがありますね(笑)。中学生になってからですけど、野球の練習をする場所が欲しいってバッティング用のゲージを作ってもらったんです。庭の木を一部切って場所を作ってもらい、夜も練習できるように親父の友達の電気屋さんに照明もつけてもらいました。以来、高校生時代も通じて、親父はずっと僕の練習に付き合ってくれていました。ほぼ毎日でしたから、ボールを投げてくれていた親父は右肩を使い過ぎて壊しちゃったんです。それでも、左投げに変えてずっと投げ続けてくれたという…。打球が直撃したのも三回くらいあります。そうまでして僕の練習に付き合ってくれたことを、今はとても感謝しています。

Q:キャッチャーというポジションはいつからですか?

原口: 僕は小学4年生で野球を始めてすぐに、自分からキャッチャーをやらせてくださいって申し出て、ポジションが決まりました。それから中学校2年生くらいまではずっとキャッチャーでした。中学生時代にキャッチャーを外れたのは自分の意志ではなく、ほかにうまい選手がいたので、僕はファーストにコンバートされてしまったんです。でも進学した帝京高校では、チームメイトのキャッチャーがケガしたことをきっかけに、経験者だった僕が代わりを務めるようになったんです。だから、僕のこれまでの野球人生におけるポジションのほとんどはキャッチャーでしたね。

Q:キャッチャーをなぜ選ばれたのですか?

原口: 野球を始めてすぐにキャッチャーを希望したんですが、理由はよく覚えていないです(笑)。でも、高校に進学してほかのポジションに就きながらも、何となくいつか僕はキャッチャーになるんだろうなっていう予感はしていました。僕はキャッチャーとして、相手の心理を読んで揺さぶったり、裏をかく配球を考えたりするのが好きなんですよ。それがうまくいくと、やっぱり楽しいじゃないですか。それに、相手の心理や配球を考えることが全然苦じゃないんです。もしかしたらこじつけかもしれませんが、僕がキャッチャーを選んだのは案外そういう部分が好きだからだったのかもしれませんね。

第4回の更新は8月26日(金)。お楽しみに!

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