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1950年代~1960年代 1958年~1959年
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ビジター
ビジター用の背番号に使用された書体
ビジター用の背番号に使用された書体

(左)田中義雄監督(右)小山正明
(左)田中義雄監督(右)小山正明

 1959年はプロ野球に画期的な出来事が起こった年だった。6月25日、昭和天皇が後楽園球場で行われた読売ジャイアンツと大阪タイガースの試合を観戦。いわゆる天覧試合が行われたのである。

 これを機にプロ野球は国民的娯楽として不動の地位を確立したと言われている。

 4対4の同点の9回裏、エース村山実投手が読売ジャイアンツ長嶋選手に左翼スタンドにホームランを喫してしまう。このときの劇的なサヨナラ・ゲームについては、すでに多くの場所で語り尽くされている。

 しかしユニフォームについてはあまり語られていない。

 長嶋選手にホームランを打たれて、ガックリと肩を落とした村山投手が着ていたのが、このユニフォームであった。

 注目点はやはり帽子のマークだろうか。

 この時代のタイガースは、まだ大阪を名のっていた。そのため帽子についていたのは、Oの文字だった。

 天覧試合について後に書かれた挿絵やマンガなどを見ると、村山投手のかぶっている帽子のマークが、61年、阪神となってから採用されたHTマークになっているケースがよくある。しかし正確にはOのマークなのでくれぐれもご注意を。

 さて、そんな天覧試合でタイガースが着ていたビジター用ユニフォームだが、帽子マークの他に特徴的な部分はといいますと、やはり背番号の書体だろうか。独特の書体は天覧試合の前年の58年から採用されていた。本来ならば村山投手の11番のユニフォームを紹介すべきなのだが、11では書体がよく分からない。で、今回は当時のもうひとりのエース、小山正明投手の47番を掲載させてもらうコトにした。

 あと58年のモデルチェンジで注目すべき点は、ホーム用の帽子だろうか。

 それまで使用していた白の縞帽子が廃止され、ビジター用に使用されていた黒い帽子が採用された。

 さらにホーム用のストッキングも白に赤と黄色の縞と黒い線のデザインが廃止となり、こちらもビジター用と同じ黒地に黄色い縞のデザインが使われるようになった。

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