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1970年代~1980年代 1974年
綱島理友のユニフォーム物語 ユニフォームのイラストをクリックすると詳細が見れます。
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田淵幸一
田淵幸一
ビジター
江夏豊
江夏 豊

 伸縮性があり、派手な色づけも可能なスポーツウエアの素材、ダブルニットが普及したのは70年代だった。

 プロ野球の各球団も、それまでの綿やウールといった天然素材に代えて、この新素材をユニフォームに導入する。

 この新素材の登場で、球界に巻き起こったのがユニフォームのカラフル化であった。73年に太平洋クラブライオンズ(現西武)が赤いユニフォームを採用して、プロ野球ファンの度肝を抜いたのを皮切りに、この年のシーズン後期には日拓ホームフライヤーズ(現日本ハムファイターズ)がオレンジや黄色や紫などの七種類のユニフォーム採用。これは毎試合、色の違うユニフォームに着替えるという企画で、ここまで行くと、さすがのプロ野球ファンも呆れるしかなかった。

 しかしそこまでは激しくはなかったが、実はタイガースもダブルニットによるユニフォームのカラフル化に、しっかりと巻き込まれていたのであった。74年に登場したユニフォームはラインや帽子の庇などに黄色が採用され、今までにない派手なスタイルになっていた。もともと黄色は60年代にもストッキングの縞とビジター用ユニフォームの虎の袖章に使われており、72年からは帽子マークのHの文字が黄色になったのだが、ここで一気にその占有面積を拡大したのであった。

 そしてさらに、カラフル化は進んで行く。このとき登場したグレーのビジター用が使用されたのは一年だけ。75年からはユニフォーム自体の色もグレーからライトブルーに変わり、ラインも輝流ラインという独特のラインが使用され、ますます派手さが加味された。

 ホーム用は75年も使用されたが、76年から、やはりラインが輝流ラインとなり、こちらもさらに派手に変身をとげるのであった。

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